
「おねやんみてみて! こんなおっきいおにりり!」
再び部屋に駆け込んで来た『孫市』は、自分の顔ほどもある大きな握り飯を持っていた。これはさっき政宗が食べたものとは違って三角形をしている。
「あらあら、えらいまた大きいお握りやねぇ。慶次さま手ぇ大きいから」
「うん! で〜んぶぼくひとりでたべてええねんて」
この子供と同じ人類とは思えぬほど巨大な男、前田慶次が握ったという実に三合はあろうかという巨大握り飯を、この子供はひとりで食べるという。
しかも余程嬉しいのか、阿国の眼前に巨大握り飯を突きつけるだけでは足らずにその場で足踏みまでしている。
この小さな身体の何処にそんなものが入るのだ?
阿国の方に乗り出していた上半身を元に戻しながら、政宗は『孫市』の全身をしげしげと眺める。だが、本人はそんな視線には気付いた風でもない。喜び(と思われる)に満面の笑顔を浮かべる『孫市』に、阿国も笑みを返しつつちょこちょことその頬をつつく。
「孫ちゃん小さいのにようけ食べるからねぇ」
「うん。…あ」
あ、と口を大きく開いたまま固まった『孫市』は、十秒ほどして徐に政宗に向き直ると小さく首を傾げた。
「なあ、おとのさまのあんにゃんおさらかして?」
「構わんが、何に使う?」
「おにりりもってたらいたらきますれきへんから」
「??」
政宗には、早口の『孫市』の言葉はなんのことやらさっぱり聞き取れないらしい。眉間に皺を寄せて考えている政宗には全く頓着せず、よいしょ、と『孫市』は政宗の前に置かれた皿に握り飯を置いた。そしてその皿を政宗の前から少しずらす。横取りされてはたまらない、といったところだろう。
すぐに食べ始めるのかと思うと、そのまま座らずに部屋を走り出てしまった。廊下を走るぺたぺたという足音とともに、甲高い声がここまで聞こえてくる。
「けぇじ〜、ゆきむらあんにゃ〜ん、まだ〜?」
余程腹が減っているのか、どうやら握り飯職人ふたりの様子を見に行ったようだ。ひとりで先に食べ始めようという発想はどうやらないらしい。
ごはん、ごはんと呟く声と一緒に『孫市』のものと思しき足音が戻ってくる。それに少し遅れて、ずしりと響く大人の足音がふたつ。
「なんだ、間に合わなかったようだな」
盆の上に汁碗を五つ乗せた幸村と、馬鹿でかい皿に馬鹿でかい握り飯を幾つも乗せた慶次が座敷に入ってきた。
幸村が用意した汁碗のひとつは、どうやら政宗用だったらしい。幸村はふ、と穏やかな笑顔を浮かべて政宗の前に椀を置いた。吸い物からはほんわりとした湯気とともに、美味そうな出汁の香りが立ち上っている。
「…ふん。残すと勿体ないから食ってやる」
「ほんまにまあちゃんは素直やないねぇ、可愛いわぁ」
食欲をそそられたのを繕いつつあくまでも尊大に言い放った政宗を、阿国はいつも通り可愛いのひと言で片付けてしまう。
うふふ、と微笑んでいる阿国に食ってかかろうとした政宗の前に慶次は馬鹿でかい皿を置き、その場に胡座をかく。孫市はちょっこりと慶次の膝の上に収まり、ずるずると自分の握り飯を目の前に移動させた。
「吸い物もいいが握り飯も食えよ。孫市でもあんなに食うんだ、政坊もまだまだ食えるだろう?」
「政坊と呼ぶな!」
「なぁ〜、はよいたらきますしょ〜」
早々にしびれを切らした孫市が悲鳴にも似た声を上げ、それを合図に政宗を含む全員が手を合わせた。
***
『孫市』は、飯粒だらけの両手を舐めていた。あの巨大握り飯は全てこのぽこんと出た腹に収まっている筈だ。当然吸い物も綺麗に片付いている。
「…ふ〜、おいしかったぁ〜」
座椅子に座るように孫市は慶次に寄りかかり、米粒が取れてきれいになった手でぽっこりとふくらんだ腹を撫でている。
巨大な皿の上の握り飯も全て片付き、大人たちはゆっくりと茶を啜っていた。無論、政宗も大人と同じ扱いである。
「しかし、政坊も喰ったねぇ」
「儂は貴様とは違って成長期なのでな」
「俺がこれ以上育ってどうする」
「そうやそうや。あんまりおおきかったらぼくもこまる」
政宗と慶次のやりとりに、急に孫市が割り込んできた。なあ、と見上げてくる孫市の頭を慶次は軽く撫でる。えへ〜、と笑って『孫市』はその大きな手のひらを捕まえて抱え込んだ。
今まさに啜ろうとしていた湯飲みを膝まで下ろし、政宗は慶次の膝の辺りを覗き込む。
「何故貴様が困るのだ」
「なんでって、けぇじがもっとおおきなったらふとんがもっとせまなる」
苦しい腹を撫でてくれる慶次の手に自分の手を乗せつつ『孫市』は至極真面目に答えた。
「それもそうやねぇ」
「…まだ独りで眠れんのか」
幼い頃から母の手元から離されて育ち、すぐ側に守り役が控えているとはいえ、昔からひとりで眠ることに慣れた政宗にとっては呆れるような話である。
「だって、ぼくまだこどもやからしゃあないやん」
「儂は小さな頃から独りで眠れたぞ」
「え〜? こじゅ〜ろ〜はそんなことゆうてなかったで?」
『孫市』の口から出てきた意外な人物の名前に、一同は一斉に『孫市』を見た。こじゅうろう、という言葉から連想されるのは、政宗のかつての守り役であり現在の腹心である片倉小十郎しかない。
「孫市、片倉殿を知ってるのか?」
「…? だれ、それ?」
一同を代表した幸村の質問に、『孫市』はなぜか首を傾げた。
「政宗の子供の頃の話、聞いたんだろう?」
「うん。ねるまでいっしょにおらなないておこるし、おねしょもなかなかなおらんかった、ってゆうてた」
今度は全員の視線が政宗を向いた。政宗は思わぬ所から飛び出した不名誉な噂を、慌てて否定する。この場合の不名誉とは添い寝がないと眠れなかったことではなく、夜尿症がなかなか治らなかったことである。
「し、知らぬ! 大体、いつ聞いたというのだ」
「んと、ついこないだやで。てるてるぼうずみたいなおいやんのとこいったとき、おとのさまもいっしょにおったやん」
皆は顔を見合わせた。どうやら、慶次が上杉家に仕官するしないで腕試しをした時のことを指しているらしい。『てるてるぼうずみたい』なのはおそらく、軍神上杉謙信であろう。
政宗と小十郎と孫市の間でそんな会話があったかどうかは定かではないが、あの時に小十郎と孫市が会っていることは間違いないのだ。そして、おそらくそれ以前には会っていない。5歳の孫市なら尚更だ。
「孫市、あの時のことを覚えているのか?」
幸村の疑問ももっともである。小さくなった孫市は大人になってからのことを一度も話した事はないし、そんなそぶりも見せたことはない。それに孫市が5歳の頃にはまだ小十郎は少年であり、遠路はるばる紀州まで出向いていたとも思えない。
「しらん」
だが、『孫市』はあっさり否定した。
「こじゅ〜ろ〜はこ〜んなひげのおいやんやろ? あとのことはしらん」
鼻の下に両手の人差し指を当てて髭の真似をしながら、いよいよ腹が苦しいのか慶次の膝を枕にもぞもぞと横になる。
「…やはりこれは孫市なのか…」
今まで半信半疑だった政宗がぽつりと云った。
政宗には当然、小十郎と孫市の会話についての記憶がある。楽しそうに話をしているからと黙っていれば、話題が何故か夜尿症の話に及んだので木刀を一振りして制止したのだ。
あの時の会話の内容を知っているのは三人だけだ。となると、これは孫市であると判断せざるを得ない。
「ほなまあちゃんは最近までおねしょしてたんや」
「ち、違うわ馬鹿め! 最近ではない、七つまでだ!」
だがやはり阿国は一筋縄ではいかない発想をしているらしい。阿国の素直かつとんでもない曲解を慌てて否定した政宗は、つい云わなくていいことまで云ってしまった。
「確かにちょっと遅いかねぇ」
「まぁ、男の子は女の子より遅いから、しゃあないんと違います?」
「孫市は寝小便なんざしないぜ」
「ぼくちゃんとねるまえにおちょうずいくもん。な、けぇじ?」
今も昔も夜尿症対策の基本は寝る前に小用を足しておくことらしい。小十郎に連れられて眠い目をこすりながら用足しに行ったことを政宗はふと思い出した。
「とにかく、だ。苦しいほど食った後は暫く寝た方がいいぞ」
「…」
珍しく穏やかに政宗が話しかけたというのに、孫市からの返事はない。そのかわりに、くう、くうと少し鼻にかかった寝息が聞こえてきた。
「あら、もう寝たん? ほな慶次さま、これ」
阿国が差し出した羽織を孫市の胸から下へ掛け、慶次はそっと右手を孫市の腕の中から抜き取る。
そして目を覚ます気配もない孫市の、頭の手拭いをそっと外す。人肌に温まった濡れ手拭いを取って前髪を軽く梳くと、びくっと孫市の手が頭に向かう。だが起きてはいないらしい。
その仕草があまりに面白くて。政宗を含む大人四人は、孫市の睡眠を妨げないようにと苦心しつつ声を殺して笑ったのだった。
やっと政宗が『ちび=孫市』と納得してくれたので、やっと孫市の名前からカギかっこが外せます。
そして不名誉なことを話題にしてごめん(笑)<政宗 史実じゃないと思います、調べてないけど。
孫市の胃袋はちょっと大きすぎるかもしれませんね〜(^-^;)