たんこぶ騒ぎが一段落し、皆それぞれの持ち場に戻った。もう今日は拭き掃除はいや、と云う孫市は雑巾を幸村に引き継いで慶次と外へ出た。戸口から出てきた慶次の手には竹箒。それで徐に門の辺りを竹箒で掃き始めた。
 だが孫市に竹箒はまだ大きすぎるので、慶次から違う任務を言い渡されていた。慶次が掃き集めた落ち葉を回収する、というものである。だから孫市は、その身体には少し大きい箕を持ってちょこちょこと慶次の後をついて歩いていた。
 孫市は落ち葉の群れの前にしゃがみ込み、葉っぱをひとつひとつ拾って箕に入れていく。悠長な作業だが、まだまだ落ち葉の季節ではないのでそれで十分だった。


***


 協議の結果、孫市が穴をあけた襖の修繕費用は慶次持ちになった。とりあえず半紙でも貼っておけばいいという皆の意見に、真っ向から対立したからである。みっともない、というのがその理由だった。傾奇者らしい意見ではあるが、金の絡む問題には皆厳しい。結局、慶次が自己負担で建具屋を呼ぶということで話がついたのだ。
 穴を開けた当事者は、たてぐやさんてなに〜?、などと暢気なことを云いながらその議論の間中慶次に寄りかかっていた。
 まあ慶次としても、孫市の失敗に関して費用を負担するのにやぶさかではない。だが、これから先の事を考えると、一応家を破壊する行為は慎むように話しておかねばならない。
 土間の降り口で草履を履こうと座った孫市の目の前にしゃがみ、目線を合わせて慶次は口を開いた。
「なあ孫市、これ以上家を壊さないでくれよ」
「…うん、きぃつける。ごめんなけぇじ」
 ぺたり、と小さな掌が両頬を覆う。その上ふにゅ、としょげた顔をされると慶次は弱い。
「こけたとき、いたいことなかった?」
 しかし今日は本当にしおらしい。明日は雪かと慶次はちらりと思った。朝丁寧に剃ったばかりの頬をそろそろと撫でる手を慶次は上から掴んで、孫市の頬に持っていく。小さな手ごと不安そうなその頬を包み、大丈夫だと笑ってやった。
「ああ。だから、もう気にしなくていい」
「…うん」
 ちょん、と鼻の頭と鼻の頭をくっつけて、慶次はにやっと笑った。至近距離の笑顔につられて孫市も笑う。そのままふたりでにこにこにやにやと向かい合っていると、うふふ、えへへと孫市が笑い声を立て始めた。急降下した気分が元に戻ってきた証拠だ。よし、と孫市の後頭部をくしゃくしゃと混ぜて立ち上がると、慶次はほら、と手を出した。孫市は草履をつっかけ、慶次の大きな手を握る。
 それが、第二の任務開始の合図であった。


***


 慶次はふと箒を動かす手を休め、少し離れたところで作業に専念している孫市を見た。
 孫市は頭の濡れ手拭いを落とさぬよう、もう一枚の手拭いで頬被りをしている。そのうえ先ほどと同じく着物の裾はからげてある。
 そのせいで、箕を持って歩いている姿がどうもアレである。アレに非常に似ているのだ。
 だがそれを云うとまた拗ねるので、慶次は何も言わずにこっそりと、可愛い『どじょう掬い』ならぬ『落ち葉掬い』を眺めて楽しむことにした。

 そんな掃き掃除もそろそろ終わる頃。不意に、松風が嘶いた。
「まつかで、どうしたん?」
 孫市はてくてくと松風の傍まで走っていった。慶次が松風の視線の先を辿ると、砂塵を上げて駆けてくる一対の人馬が見えた。馬上の人物の見当が付いた慶次は、その来訪を知らせるために孫市を残して家に入っていく。
 ひとり(松風がいるが)残された孫市は、なぜか門の前で仁王立ちになった。悪い人なら入れてはいけない、という使命感に駆られたのだ。
 一方、松風はのんびりしたものである。慶次同様、来客が誰なのかもうわかっているからだ。孫市に寄り添うように立ち、一応何かあればいつでも守ってやれる位置を確保する。
 見事な鹿毛は門の少し手前で止まり、小柄な人影がひらりと降りた。見るからに武士、といった身なりをしているが、背丈も顔立ちもまだ成人しているようには見えない。片目には眼帯をしており、開いている方の目は気の強そうな明るい茶色をしていた。その人物は馬の轡を取ってずんずんと歩み寄り、仁王立ちしている孫市のすぐ前で立ち止まった。
「何だ貴様は」
 見下ろす視線に胡散臭いものを見るような色を感じ、孫市はむっとした。
(しつれいなやっちゃ)
 そして『こいつはきっと悪い奴に違いない』と勝手に判断した。
 悪い奴である以上、家への侵入は阻止しなければならない。見事撃退に成功すれば、襖に穴を開けてしまった不名誉を挽回することも出来る。
 だが正直なところ、孫市はちょっと怖かった。そもそも幾ら小柄な少年であっても、孫市よりはずっと大きい。しかも優しい大人に囲まれて暮らしている孫市にとって、彼の視線は鋭すぎた。
 が、松風が鼻先でちょこん、と肩を突いてくれたので勇気が出た。ぐっとその目を睨み返し、両手もぎゅっと握りしめて口を開いた。
「ぼくはここのこや。あんたこそだれや」
 この片目の少年は将来の天下の副将軍、奥州王伊達政宗であるのだが孫市はそんなことは知らない。孫市は見知らぬ無礼な来訪者に対しては至極もっともな問いかけをした。
 一方政宗は、こんな小さな子供に誰何されるとは思っていなかったのだろう。意外そうな光がその瞳にちらりと浮かぶ。だがそれも一瞬のことだった。
 ここの住人達のことはよーく知っている。いずれ劣らぬ猛者ばかり集まって暮らしているこの家に、こんな子供がいるわけがないのだ。
 おそらく近所の、しかも妙な頬被りをした子供相手にそんなことを説明するのも面倒だと、政宗はこの子供の脇を迂回することにした。
「ふん。子供に用はない!」
 黙って通ればいいものを、その一言が余計だった。そういう事を口に出さずにいられないのがこの少年のまだまだ可愛いところではあるのだが、この場合は相手が悪かった。仲間を守ろうと勇気を振り絞った孫市は、この少年の態度と言動に今度こそ頭に来たのだった。そして、この少年が最も嫌う科白を、そうとは知らずに力一杯投げつけた。
「じぶんかてこどものくせにえらそにゆうな!」
「何だと?」
 政宗のこめかみがぴくりと動いた。


***


 阿国に政宗が来たとだけ声をかけて戻ってきた慶次は、辺りに漂う険悪な雰囲気に眉をひそめた。松風が振り返り、早く来て何とかしろ、という目をしている。
 何をやっているんだか、と思いつつ門の所まで来た慶次は、松風の影から現れた、お互いに向かい合って仁王立ちになり、睨み合って一歩も引かない政宗と孫市を見付けた。ばちばちと火花が散りそうな勢いで睨み合っているふたりを認めた慶次は、ふうとひとつため息をついた。
「おいおい、子供相手に喧嘩するなよ坊主」
「慶次! なんだこのガキは、無礼にも程があるぞ!」
 通常なら「坊主」と云われた時点で猛然と慶次に食ってかかっているはずだが、今の政宗にとっては、慶次の発言はとりあえずどうでもいいらしい。そこへ更なる援軍が来て強気の度合いが増した孫市が、すかさず小憎らしい発言をする。
「ひとのことがき、ゆうほうががきや。なぁ、けぇじ?」
「…!」
 会話が途切れたところで慶次はとりあえず、ぱ、と両手を上に開いて待っている孫市を抱き上げた。孫市のこの仕草は、「抱っこして」という合図だからである。慶次に抱き上げられた孫市は少しだけ震えていた。余程緊張していたらしい。首筋に回された掌もひやりと冷たい。
 そして、怒りのあまり絶句している政宗の、こちらも震えている肩をぽんぽんと叩いていつも通り豪快に笑った。
「はっはぁ、その通りだ! 今回は政宗の負けだな!」
 政宗は慶次に掴まって見下ろしてくる生意気な子供を見上げた。今や政宗の遙か頭上にいるその子供は、慶次の耳元にこそこそとなにやら話しかけている。ひそひそ話のつもりのようだが、その会話は政宗の耳にもちゃんと聞こえてくる。
「このひとまさむねいうの?」
「ああ、孫市は初めてだったな。これでも政宗は一国一城の主なんだぞ」
 孫市のまだ薄っぺらい辞書にも、イッコクイチジョウノアルジは載っていたらしい。眉間に寄せていた皺が取れ、大きな目をくるんとさせてしげしげと政宗の姿を眺める。
「ふーん、おとのさまなんや。そやけど、えらいちいさいおとのさまやなぁ」
 丸聞こえだ、馬鹿め!
 また不快な単語を会話の中に聞き取った政宗であったが、孫市と呼ばれた子供の視線が不審者を見るそれから、敵意のない穏やかなものに変化したので、それを口にするのはぐっと堪える。そしてふと違和感を感じた。
…孫市?
 政宗の視界のどこにも、あの軽薄な鉄砲撃ちの姿はない。いるのは慶次と松風と、泥棒見習いのような頬被りをした子供だけである。
「慶次、孫市はどうした」
「ここにいるだろうが」
「儂が訊いておるのは、あのうすらでかくて女に目がない鉄砲撃ちのことだ」
 答えになっていない(と政宗は思う)慶次の台詞にイライラしながらも、何とか声を荒げることなく政宗は訊きなおした。
 孫市という男はうすらでかかったっけか。だが女に目がないのは間違いない。でもまあ政宗にとっては、大概のここの住人はうすらでかく感じるのだろう。慶次の思考は無事着地点を見出し、もう一度同じ答えをすることにした。その方が反応がおもしろそうだったからである。
「だから、ここにいるって」
「…慶次。儂を謀るのも大概にせい。これのどこが孫市だというのだ」
 慶次の肩に頭を載せて、ぺちゃりとくっついている子供をじっくりと見てみる。大きい垂れ目と髪を縛っている紐は確かに同じようにも見える。が、それだけでは決め手に欠ける。というよりそもそも、大人が急に子供に戻るわけがない。
 真剣に悩み始めた政宗の、小振りな頭に慶次は手を乗せてくしゃりとやった。
「ま、信じないならそれでもいいさ。とりあえず中へ入って茶でも飲んだらどうだ、阿国さんが待ってるぞ?」
「…う、うむ」
 考えることを一旦放棄した政宗はとりあえず、さっさと踵を返して歩き始めた慶次の後を追いかけることにした。それを見届けた松風も、政宗の騎馬と共に門内へと消えていく。
 そして誰もいなくなった門の外に残された箕から、風に吹かれて桜の葉っぱが一枚ひらりと飛んだ。







やっと全員集合。前田組で子供扱いされまくっていた政宗も、これでようやくお兄ちゃんです。
しかし険悪な出会い。ちび部屋初の喧嘩であります。大人げないぞ奥州王。大人じゃないけど。

次回はとりあえず関係修復を図りたいと思います。それと箕を早く片付けないと、阿国さんに怒られます。くわばらくわばら。