
孫市が突然子供に戻ってしまってから半月が過ぎた。
その身体は一向に元に戻る気配はなく、本人もここでの生活にすっかり順応したようだった。
本人にしてみれば、まさに突然見知らぬ大人達に囲まれる生活になったわけだが、何故か孫市は人見知りというものを全くしなかった。
おそらく産まれた頃から大勢の雑賀衆に囲まれて育ち、大事にされてきたのだろう。初対面の大人達の善意を無条件に信頼している、非常に子供らしい子供であった。
***
「おねやん、ぼくもやる」
孫市は裁縫をしている阿国の袖をくいくいと引く。阿国は今、古い着物をほどいて孫市の体に合うように仕立て直しているのだが、好奇心の塊である孫市にとっては魔法の作業に見えるらしい。
「孫ちゃんお裁縫したいん? 男の子やのに、変わってるなぁ」
「なんかおもしろそうなんやもん」
目尻の下がった大きな目がきらきらしている。裁縫くらい孫市の母親でもしていただろうに、と阿国は思う。だが阿国は孫市に対して、やりたいというものは極力やらせてやろういう方針だ。裁縫をする手を止め、軽く首を傾けながら孫市に微笑みかけた。
「そう? ほな、お雑巾でも縫うて貰おうかしら。ちょっと待っててな」
そう言うと阿国は、布きれを入れている箱の中から、擦り切れかけた夜着のなれの果てを取り出した。それは一重の白い木綿で、雑巾にするには丁度良い。阿国はそれを適当な大きさに畳むと、ちょっこりと正座している孫市の膝に置く。
「縫い方教えたげるから、お膝へおいで」
「え〜、おひだ?」
自分の膝をぽんぽんと叩いてみせた阿国に、孫市はあからさまな困惑の表情を浮かべた。
小さな孫市は初日から全員の予想を見事に裏切った。あれだけ阿国さん阿国さんとまるで五右衛門と競うかのように話しかけていた孫市が、面白いことに、小さくなった途端に阿国と距離を置こうとしたのである。
勿論幼児であるから、ひどく悲しいときや淋しいときにはぎゅっと抱きついてきたりはする。だがそれは誰が相手でも同じ事で、阿国にだけ特別にべたべたと甘えるようなことはない。むしろ、幸村や五右衛門に対するときに比べると遠慮があるように見える。
原因が遠慮なのか照れなのかははっきりしない。が、あまり阿国にくっついて行かないものだから、逆に阿国のほうが構いたがって抱き上げたりする。
ところが、阿国にだっこされる事に対しては恥ずかしそうにじたばたと抵抗するのが面白い。大人になってからの孫市との落差が激しすぎるので、皆は内心『大人になるまでに何があったんだろう』と詮索していたりもする。
「お膝におってくれんと、縫い方教えにくいんやけど」
「そうなん? ほなしゃあないなぁ」
渋々といった調子で雑巾のもとを手にとり、孫市はちょこんと阿国の膝に座った。
実は、元来甘えん坊の孫市にとって『渋々』は結局表向きで、堂々と膝に座る大義名分が出来たのが幸いと思っているらしい。そのため、通常は殊更に断ることはない。
つい先日はそれを五右衛門にからかわれ、慌てて阿国の膝から降りて松風の所まで(松風だけは、決して孫市をからかったりはしない為だと思われる)逃走し、慶次が迎えに行くまで松風の足にもたれ掛かって複雑な顔をして拗ねていた。
それからというもの、五右衛門の前では、たとえどれほどの大義名分があっても絶対に阿国から抱き上げられることを許さなくなった。悪いことしちまいましたかねぇ、と昨日五右衛門は阿国の前で反省していたくらいである。
今夜は男三人は外出している。戻るのは遅くなるから先に寝るように、と孫市は慶次から云われていた。だから孫市は安心して阿国の膝に座っていられるというわけである。
「なぁ、はよおせて〜」
「はいはい、始めましょ。これが針。刺さったら痛いから、絶対その辺に置いたらあかんよ…」
何だかんだ云いつつ、機嫌良く留守番をしてくれている孫市に、阿国は安堵の溜息を吐いた。
男三人揃って夜に出かけるような場所といえば決まっている。彼らも木石ではないため、一応阿国に断った上で月に一度はそうして出掛けていく。阿国もそれをどうこう云うつもりはないため、いつもは松風と留守番をするのが習いになっていた。
普段賑やかに生活しているせいか、誰もいない夜は酷く長く感じる。淋しいとまでは思ったことはないが、毎回暇を持て余してしまう。
だが、今日は阿国のそばに孫市がいる。行灯の淡い光の下で、身を寄せ合って裁縫の手ほどきをしているのは傍目から見ても微笑ましい光景であった。今頃赤い光の下で女達と酒を飲んでいるであろう連中とは大違いである。
一通りの説明を受け、孫市は阿国の邪魔になるからと膝からは降りたものの、そのすぐ脇にちんまりと座り無心に針を動かしていた。阿国も裁縫の続きを始める。
しばらくそうしていたが、なんとか端から端まで波縫いを終えた孫市が、顔を上げてつぶやいた。
「なぁおねやん、みんないつかえってくるんやろ…」
「…孫ちゃん」
その姿があまりにも切なくていじらしくて、阿国はついぎゅっと抱きしめてしまう。孫市は意外な攻撃にしばらくじたばたしていたが、そのうち大人しくなって、自分からもぺたりとくっついてきた。
「…みんながおらんとさみしい…」
阿国は胸にもたれ掛かる小さな頭を撫でた。いつも自分が感じていたことを、素直に口にする幼子が愛おしいと思う。こうして抱きしめていることで癒されているのは自分の方なのかも知れない、そんな気さえしてくる。
「そうやね、淋しいねぇ」
背中を抱き返してくる小さな手の、その温かさが嬉しい。
「でも、孫ちゃんがおってくれるから…ねぇ」
そしてその抱きしめあいは、そのまま孫市が眠ってしまうまで続いたのだった。
はい、突然時間が飛びました。いきなり半月後です。そうでもしないといつまでたっても一日が終わらないのです。
今回は阿国さんとらぶらぶ編です。ちびもやっぱり女好きのようです、照れてるだけで。好きなものは好き、というだけじゃなくなってきたお年頃。
次回は、あんにゃんかおいやんか。らぶらぶ編が続きます。