
厠を済ませて部屋に戻る頃には、孫市の機嫌はすっかり良くなっていた。小さいながらも、泣いても仕方がないと割り切ったのかも知れない。阿国が子供用の着物を調達して戻ってきた頃には、素っ裸できゃあきゃあ騒ぎながら五右衛門と慶次と3人で鬼ごっこをしている最中であった。
「ほらほら、捕まえちまうぞ?」
「きゃー、たすけておいやん!」
床板がゆさゆさと揺れている。重量級の2人が揃って室内で動き回るのだから当然だ。床が抜けなければいいと阿国は思ったが、そこで怒って見せたりはしないのが彼女である。黙って座敷に上がり、きちんと正座して風呂敷包みを解き始めた。
「ほらこっちだぜ孫市。つかまらねぇように慶次の股の下走ってこい」
「ようはしらん、けぇじおおきいからつかまるぅ〜」
そうやって孫市が部屋中を走り回っているその真ん中で、幸村は黙々とお膳を整えていた。阿国は風呂敷包みを広げ終えたところで、丁度その脇を駆け抜けようとした孫市を捕まえた。
「ほら、ええ男がいつまでも裸ん坊で走り回ってるんやないの。さ、お着替えしましょ?」
「いやや、あそぶぅ」
ここにも鬼がいた、とばかりにじたばたと暴れて逃げようとする孫市に、阿国はすかさず脅しをかける。とても脅しているようには思えぬぽやんとした口調がまた怖い。
「そう、孫ちゃんはお腹空いてへんねんね? じゃあ孫ちゃんは今日の朝ご飯抜きでもええね」
「いや〜おなかすいた〜」
「嫌やったらちゃんと着物着な。ほら…あ」
遊びたい気持ちも流石に空腹には勝てず、渋々孫市は大人しくなった。小さな肩に縹色の着物を被せた阿国だったが、急にくるりと男性陣を振り返った。
「うち、褌てよう締めませんよって、どなたかお願いします」
どなたかと云われても、幸村は相変わらず食事の準備をしている。つまり暇人は慶次と五右衛門。ふたりはどちらからともなくじゃんけんをし、負けた五右衛門が今朝の褌担当を任命された。
「これふんろし?」
どうも小さい孫市は”だぢづでど”が苦手のようだ。すっかり”らりるれろ”になってしまっている。五右衛門は紐を手早く結び、ぽんと軽く尻を叩いて終了の合図をした。
「おおよ。やっぱり日の本の男はこれじゃなきゃぁ締まらねぇ」
「でもこれ、あかいことない」
前に垂れ下がった部分をぺらぺらと弄びながら、孫市は首を傾げた。
「赤?」
そう云われると、孫市はよく赤い褌をしている。阿国に長い帯を締めて貰いながら、孫市は退屈なのか、首を傾げたまま袖を持って羽のようにぱたぱたさせる。
「ふんろしはみーんなあかやとおもてたのに、ちがうんや。なんかへんやなぁ」
「…雑賀の人はみんな赤なんだな…」
さっきまでずっと黙々と作業にいそしんでいた幸村がぽつりと言った。既にお膳の上は完璧に準備が整っていた。あとは全員が食卓に着き飯を盛れば食事開始、という状態である。
ハイおしまい、と裾を整え終わった阿国に背中をとんとんと叩かれて、孫市はすぐに走り出す。
「なんでまた赤なのかねぇ」
褌は白が一番、と公言しかつ実践している慶次は納得がいかないらしい。大きな蝶結びを揺らして駆け寄ってきた孫市を抱き留めて、ぺろりと裾を捲る。当然の事ながら褌はやはり白い。うんうん、と満足げに頷いている慶次を見て、五右衛門が腹を抱えて笑い出した。余程おかしかったらしい。
「おい、幾ら見たって色は変わらねぇぜ慶次」
「けぇじ、おしりさぶい〜」
「おお、すまんすまん」
すぐに裾を戻し、孫市を抱いたままよっこいしょとお膳の前まで移動する。ようやく笑いの発作が治まった五右衛門も座り、阿国がお櫃を持ってきて全員が揃った。茶碗にご飯が盛られ、各人に行き渡る。皆の視線が自然と慶次に集中したところで、慶次は神妙な顔つきで徐に口を開いた。
「それでは」
慶次の声に、全員が背筋を伸ばし手を合わせる。孫市も見よう見まねで手を合わせた。
「「「「いただきます」」」」
「ま〜す」
食事時は全員で食卓を囲み、家主の音頭に合わせて全員で唱和する。これがこの奇妙な共同生活のきまりのひとつであった。
おいやん(慶次、五右衛門)=おじさん、あんにゃん(幸村、政宗)=お兄ちゃん。5歳児の感覚だと慶次もおじさんの範疇に入るわけですね。下手すりゃ幸村だっておいやんです。きっと若く見えたんでしょう。
真田も白、五右衛門は柄物。伊達っ子は…グンゼしか思い付かない<褌
孫市の赤は風水でなくて2pから、慶次の白は一夢庵風流記。そして管理人は白が好き。